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神戸地方裁判所 昭和61年(ヨ)384号 決定

債権者

石堂正彦

右代理人弁護士

宗藤泰而

藤原精吾

高田良爾

佐藤克昭

債務者

朝日火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

越智一男

右代理人弁護士

和田良一

美勢晃一

山本孝宏

狩野祐光

太田恒久

河本毅

右当事者間の昭和六一年(ヨ)第三八四号解雇禁止仮処分申請事件について、当裁判所は、その申請を相当と認め、債権者に保証を立てさせないで、次のとおり決定する。

主文

債権者が債務者に対し、労働契約上の権利を有することを仮に定める。

債務者は、債権者に対し、昭和六一年八月一一日から本案判決確定に至るまで毎月二〇日限り金四五万五二四六円を仮に支払え。

申請費用は債務者の負担とする。

(裁判官 林泰民)

仮処分命令申請書(昭61・7・29)

申請の趣旨

一、被申請人は、申請人に対し、昭和六一年八月一一日以降定年退職取扱いをしてはならない。

二、申請費用は、被申請人の負担とする。との裁判を求める。

申請の理由

第一、当事者

一 被申請人

1 被申請人は、火災保険・自動車保険などの各種損害保険業を営む株式会社であって、資本金は二億五〇〇〇万円、肩書地に本店を置くほか全国主要都市に一四の営業本部と二一の支店、五二の営業所を有し、昭和六一年三月三一日現在の従業員数は六八三名である。

2 被申請人会社の発行済株式数の約四二・八%は、野村証券株式会社(以下、野村証券という)ほかの野村証券関連会社が保有していて、被申請人会社は、実質上野村証券の支配下にある。

3 被申請人会社は、昭和四〇年二月、鉄道保険部を合体した。鉄道保険部は、戦後の鉄道荷物の運送事故の多発に対処するため、運送保険の引受けのため、昭和二四年一〇月に設立された当時の損害保険会社一九社の共同引受機構(シンジケート、幹事会社は当時の興亜火災海上保険株式会社)である。

4 現在、国内で損害保険の元受営業を営む会社は、二一社であって、被申請人会社の規模はほぼ業界一八位の地位にある。その総資産は、昭和六一年三月末(昭和六〇年度決算)において、約一〇二七億円である。

5 被申請人会社には、その従業員で組織する全日本損害保険労働組合朝日火災支部(以下、朝日支部という)がある。

二 申請人

1 申請人は、昭和二八年七月鉄道保険部に入社し、前記合体により被申請人会社の従業員の地位を取得し、現在、営業開発担当主事として神戸支店(神戸市中央区京町七一山本ビル)に勤務している。申請人は、昭和四年八月一一日生まれであって、昭和六一年八月一一日をもって満五七歳となる。

2 申請人は、前記朝日支部に所属している。

第二、被保全権利

一 申請人と被申請人との間の労働契約(定年制の定め)

1 鉄道保険部時代の労働契約

(一) 申請人が鉄道保険部に入社した後、昭和三二年一月一日、就業規則が制定され、右就業規則には定年制につき次の定めがおかれた。

「従業員の停年は満六三歳とする。但し、会社において必要と認めたときは二年間延長することがある(第三八条)」

つづいて、同三七年一一月一日全日本損害保険労働組合鉄道保険支部と鉄道保険部との間で、労働協約が締結され、定年制については次のとおり定められた。

「従業員の停年は満六三歳とし、当該従業員が満六三歳に達した翌年度の六月末日までとする。但し、会社が必要と認めたときは二年間延長することができる(第二三条)」

(二) 以上、就業規則の制定、労働協約の締結により、定年制に関する事項、とくに、その退職の時期を明確にした労働協約の定めは、そのまま申請人と鉄道保険部との間の労働契約の内容をなすにいたった(労働基準法九三条、労働組合法一六条)。

2 労働契約の承継

(一) 昭和四〇年二月の旧朝日火災海上保険株式会社との合体に先立ち、合体後の労働条件がどうなるか不安を感じた全損保鉄保支部は、鉄道保険部経営者との間で交渉を重ね、合体直前の同年一月二八日合体に関する協定を締結した。この協定書によれば、合体後も、会社は「会社と組合との間で締結している現行労働協約および付属覚書を遵守する」ことを約し、合体後の賃金、退職金、配置転換等労働条件に関する取り決めをおこなっている。

この「合体に関する協定書」は、合体後の定年制につき「停年制は現行通りとする」と定めている。

(二) 合体後の新会社である被申請人は、申請人のみならず旧鉄道保険部従業員との間の労働契約関係をそのまま包括的に承継した。

なお、合体前の旧朝日火災海上保険株式会社においては、従業員の定年制につき「従業員の停年は満五五才に達した日とする」(労働協約第二〇条)、「職員は満五五才をもって停年とする。但し、事情により嘱託としてなお在職を命ずることがある」(就業規則第五五条)と定められていた。従って、合体後の被申請人会社においては、定年制の適用につき、旧朝日火災の就業規則、労働協約の適用を受ける旧朝日火災従業員と旧鉄道保険部のそれらの適用を受ける申請人を含む旧鉄道保険部従業員とが存在することとなった。

3 労働慣行の成立

(一) 合体後、旧鉄道保険部従業員であって、満六三才に達した者は、全員ひきつづき満六五才になるまで勤務を続け、満六五才に達した翌年度の六月末日をもって退職した。

つまり、合体後、前記旧鉄道保険部就業規則、労働協約の定年制に関する定めのなかの「会社が必要と認めたとき二年間延長することができる」旨の但し書は、自動延長として運用された。そのようにして、合体後の被申請人会社においては、旧鉄道保険部従業員について六五才定年制が慣行により成立し、それが申請人との労働契約の内容をなすにいたった。

合体後の組合である朝日支部は「『会社が必要と認めたとき』については過去の闘いの中で『本人の申し出があれば認める』という労使慣行をきずいてきた。したがって、実質的には六五才定年である」(疎甲第三号証、三〇八八頁)と確認し、被申請人もまたこの慣行の存在を認めていた(疎甲第四号証、昭和四八年一二月二〇日付労使問題速報、「現在六五才停年適用者に全部既得権を認めるというのでは…」)。

(二) 一方、旧朝日火災従業員についても、事実上、満六〇才定年制の慣行が成立した(疎甲第三号証)。

二 定年制引下げに関する労使間合意

1 被申請人会社の組合に対する支配介入

(一) 被申請人会社は、昭和五四年ころから、「経営危機」を主張し、人件費の節約を最大の主眼として従業員の労働条件を不利益に変更する相次ぐ合理化を実施した。

定年制の引下げは、退職金の減額提案とともにその合理化の要めとされたものであった。

当時、朝日支部は、この相次ぐ労働条件の切下げに反対し果敢にストライキ等をもって抵抗したが、被申請人会社は、昭和五五年ころから、朝日支部を合理化に協力する機関に変質させるため、組合運営に対し、大規模な支配介入を開始した。

昭和五六年九月、東京都労働委員会は、当時の朝日支部の申立により、会社は「同支部内における対立する一方の立場を支持し、他方に反対する旨示唆する言動を行ったり」してはならない旨の命令を発している。

(二) かかる支配介入により、昭和五六年一一月の朝日支部大会以降は、会社の支持する者が朝日支部執行委員会の多数を制し、その後、朝日支部執行部は、産業別単一組織である全日本損害保険労働組合(以下、全損保という)の指導に反して、次から次へと被申請人会社の労働条件引下げを容認する協定を締結した。

このような状況下で、申請外樋口勇は、昭和五八年三月、神戸サービスセンターから金沢営業所へ配転されたが、御庁に対し同年六月、右配転命令は不当労働行為、人事権の濫用により無効であると訴を提起し、御庁民事六部で審理中であるが、近く昭和六一年八月二九日に判決言渡の予定である。

(三) 被申請人会社は、昭和五八年五月九日、右のように会社派が多数を占めることとなった朝日支部執行部との間で定年制、退職金の引き下げについて、次の合意に達した。

(定年制)

〈1〉 定年は、昭和五八年四月一日より満五七才の誕生日とする。

〈2〉 満五七才の定年後、引続き勤務を希望し、かつ心身ともに健康な者は原則として、満六〇才を限度として、特別社員として再雇用する。但し、雇用契約は一年毎に更新する。

(退職金)

従来の規定は、勤務年数三〇年以上の場合、退職時の本俸月額に七一倍を乗ずることになっていたが、この支給係数を五一倍とする(一定の経過措置がある)。

(四) しかし、右の協定をなすにあたって、朝日支部は、全損保の指導に基づき、「定年・退職金問題について、組合は組織討議の経過をふまえ、ひとりひとりの権利を留保する立場をとる。つまり、組合組織としては会社と調印することになるが、不満の意を表わす者が会社との関係で個人として異議をとなえることが出来ることと解釈している」(疎甲第一号証三〇頁)という留保をつけ、被申請人もこれに同意した。

朝日支部は、非組合員に対しても、右の協定締結に先立ち、昭和五八年五月二日付で「労働組合としては、会社回答で不満な方については一人ひとり権利を留保することにしました。『一人ひとりの権利を留保する』とは労働組合の組織として会社と協定するが、当然のことながら、不満を示す方が会社との関係で個人として異議を示すことができることを意味します」(疎甲第一三号証)と書信を送り、留保の意味を説明している。

(五) 被申請人会社は、朝日支部の要求により、右協定締結に伴い従業員全員に対し一人平均一二万円の代償金のほか、旧鉄道保険部従業員七一名に対しては一〇万円もしくは三〇万円の代償金を加算して支払うこととなったが、被申請人は、旧鉄道保険部従業員には、個別に面接してその同意をとりつける作業をおこなった。

(六) 申請人は、昭和五八年五月一〇日以降、被申請人の再三にわたる説得にもかかわらず、定年制・退職金のひき下げの労使間合意に同意できない旨を通知し、右の代償金(一人平均一二万円の分を含む)の受領を拒否した。

三 右合意は、申請人の労働契約上の権利を左右できない。

1 以上によると、定年制・退職金の切下げを内容とする被申請人と朝日支部との間の合意(労働協定の改訂)、それに基づく就業規則の変更は、それまでの労働協約、就業規則、労働慣行による定年制、退職金支払の定めが従業員の個別の労働契約の内容となっていることを前提とした上で、個々の従業員が労働契約の変更に同意することを条件として、新しい定年制、退職金の定めを設けたものと解すべきことになる。

すなわち、従業員個人に対しては、この定年制に関する右労使間合意及びそれに基づく就業規則の変更は、既成の労働契約の内容を変更したいという申し入れにほかならない。

2 申請人は、定年制に関する労働契約の既得の権利を不利益に変更することには同意していないのであって、被申請人と組合間の右の合意、就業規則の改訂によってその労働契約上の権利を左右されることはない。

3 すでに、申請人と同じように定年制の引下げに同意しなかった申請外高田二郎は、昭和五八年六月、福岡地方裁判所小倉支部に対し地位確認の訴えを提起し、現在審理中である(同人は、非組合員であって、右の労使間合意成立の直前に、満五七歳となっていた。なお、定年制の切下げに不同意を表明したのは、申請人、右高田のほか、申請人外倉田優、同八木隆の四名である)。

4 以上の次第で、申請人は、右の労使間合意やその後に被申請人の制定した就業規則の適用を受けることなく、申請人の満五七歳の誕生日である昭和六一年八月一一日以降も、満六五歳に達する翌年度の六月末日までひきつづき被申請人会社従業員としての地位を維持しつづけることのできる権利を有する。

第三、保全の必要性

1 被申請人会社近畿営業本部長菅原毅、神戸支店長矢野享は、昭和六一年七月二八日、申請人に対し「貴殿は昭和六一年八月一一日をもって満五七歳となられますので、同日をもって定年退職とします」旨を云渡し、更に退職の辞令を交付しようとした。

さらに、右両名は、申請人に対し、

〈1〉 社章バッチ、健康保険証を返還してほしい(社章バッジ紛失の場合は実費五〇〇円を支払ってほしい)

〈2〉 社宅を二カ月以内に明渡してほしい。

旨を申し入れた。

2 申請人は、被申請人会社から得る賃金(昭和六一年七月分金四五万五二四六円)を唯一の収入とする労働者である。

申請人は、妻小夜子、母貞子を扶養しながら、被申請人会社の借上げ社宅に居住している。

以上のような事情であるから、もし、申請人が、八月一一日をもって解雇され、その収入の途を失うときは、申請人の生活は成り立たず、家族の生活にも重大な影響を与え、申請人はとり返しのつかない損害を蒙ることが明らかである。

よって、本申請に及ぶ次第である。

申請の趣旨変更の申立書(昭61・8・13)

一、次のとおり申請の趣旨を変更する。

1 申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有することを仮に定める。

2 被申請人は、昭和六一年八月一一日から本案判決確定にいたるまで、毎月二〇日限り申請人に対し一か月金四五万五二四六円の割合による金員を仮に支払え。

3 申請費用は被申請人の負担とする。

との裁判を求める。

二、変更の理由

本件申請は、申請書記載のとおりの申請の趣旨をもってなしたが、その後、申請人の満五七歳の誕生日(昭和六一年八月一一日)を経過して、被申請人は定年退職により退職したものと取扱い、同人の就労を認めない。

よって、前記のとおり申請の趣旨を変更するものである。

三、賃金

被申請人会社の従業員に対する賃金は、毎月二〇日限り支払の定めとなっていて、申請人の賃金は本件解雇当時、月額四五万五二四六円であった(疎甲第一九号証)。

債権者準備書面(一)(昭61・9)

一 本件の争点

1 本件定年制の変更は、「ひとりひとりの権利を留保する」内容をもって、労使間で合意された。

すでに申請書に記載したように、昭和五八年五月九日、朝日支部は、会社の定年制・退職金の切下げ提案に同意するにあたり、「組合は組織討議の経過をふまえ、ひとりひとりの権利を留保する」旨を表明し、会社もこれに同意した。

債務者は、会社が組合の留保条件に同意したことを否認している(答弁書九頁)が、疎甲第一二号証昭和五八年五月一一日付労使問題速報(これは債務者会社人事部自身が労使間交渉の内容を非組合員に伝えるために作成した速報である)によれば、この交渉の席上、会社は、「せっかく労使間で妥結した訳であり、できるだけそういうことがない様に望みたい」と発言しただけで、不同意を表明していないことが明らかである。

会社は、組合との妥結後に、現実にも旧鉄道保険部従業員に対し、いちいち面接し、定年制・退職金制度変更についての個人の同意をとりつける作業をおこなった。この事実は、債務者も認めているし(答弁書九頁)、疎甲第一六号証(会社村上人事部長の証言調書第一五〇項以下)でも明らかである。引用すると、

旧鉄道保険出身者には本人に言って十分に納得してもらって現金(代償金のこと―引用者)を渡しなさいと、こういう指示をしたんですね。

はい。

十分納得してもらってとはどういうことですか。

定年、退職金の問題とか、労使でこうして長年話合いをしてきて、やっと統一が成立し、退職金の改定もできたということを理解してもらって、労使で話し合った内容、協定した内容に従ってもらいたいということをお話してもらうようにしたわけです。

………

本人の定年の退職金の、切り下げという言葉を使われるとあなたのほう、納得できないかもしれませんが、改定と、それに同意をしてくださいということで頼んだんでしょう。

そうですね、納得してもらいたいということですね。

以上の事実によれば、本件の定年制変更に関する労使間の合意は、個々の従業員が労働契約上既得の権利を有していることを前提にして、定年制の定めを将来に向かって変更したものである。それは、昭和五八年五月九日現在、債務者会社に在籍していた従業員については労働契約改定の申入れの意味を持つものであって、個々の従業員が改定申入れに同意しない限り、当該従業員の労働契約に含まれる定年制の定めが変更されることはない。

二 債務者の主張について

債務者は、「債務者会社と朝日支部との間の昭和五八年五月九日付定年統一および退職金制度改定に関する協定の効力は、労働組合法第一六条に基づき、組合員である債権者に対しても拘束力を有する」(答弁書九頁)と主張する。

しかし、前述したように、右の協定そのものが、「ひとりひとりの権利を留保」した労働契約改定の申入れの内容を持っていたのであって、労働協約一般の効力をもって論ずるのは筋違いである。

第二に、仮に労働協約の規範的効力と労働契約の関係の問題であるとしても、そもそも労働協約の中心的機能は、団結の力を背景に労働者の生存権確保のため、その労働条件の最低基準を設定するところに意味があり(立法による規範的効力の承認もその限度で理解されるべき性質のもの)、労働協約をもって個々の労働者の既得の労働条件を切下げる機能を与えるなどは、法の予想しないところであるというべきである。

判例も、「労働組合法第一六条に所謂労働協約の規範的効力とは、当該労働協約に定める労働条件よりも労働契約の方が労働者にとって不利益な場合にのみ、その不利益な部分を無効とし、その場合には、当該労働協約に定める労働条件が労働契約の内容になるという片面的な効力をいうのである。したがって、労働協約が労働契約よりも不利益な労働条件を定めても、直接的には組合所属職員の労働条件について何んらの効力もないのである」としている(函館地昭四八・三・二三、訟務月報一九巻六号三〇頁)。

従来、右のような問題が実際に生じうる現実的背景は乏しいものといわれてきた。なぜならば、労働組合が労組法の予定する「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を主たる目的として」(第二条)活動していた限りにおいては、現実にかかる事態は生じなかった。それは、本件定年制の変更に同意した朝日支部のように、労働組合が、会社の支配介入によって会社から支持された人間が執行部の多数を制し、会社の合理化に協力する機関に変質してしまった状況下で起こりうる事態である。

労組法の予定する実体をまったく失った労働組合が協定した事実をもって、労組法の規定により、労働協約に既得の労働条件を切下げる機能を与えるということは、背理としかいいようのないことである。

三 債務者会社の労働契約の承継について

1 債務者は、答弁書において、「二本建定年(旧鉄道保険部従業員と旧朝日火災従業員、合体後に入社した従業員に適用された定年制の定め―引用者)は、合体協定第五条および第六条に基づき、これが一本化・統一化されるまでの間の暫定的なものとして併存したものであった」(答弁書二三頁)と云い、合体後の旧鉄道保険部従業員の定年制に関する権利も、将来において変更の予定されていた権利であると主張するかの如くである。

しかし、債務者のいう右の合体協定とは、合体にあたって旧鉄道保険部の旧朝日火災とが協定した会社間の協定であって、これによって従業員の個別の労働契約上の権利が左右されることはない。しかも、この会社間の合体協定書は、合体後に従業員に対し公表されたことがない。

申請書記載のように、旧鉄道保険部と全損保鉄道保険支部とは、合体直前に、「停年制は現行通りとする」と協定していたのであって、債務者は、この協定(それに基づく労働契約の内容)を包括的に承継したのである。

また、債務者のいう合体協定書の第五条・第六条によっても、旧鉄道保険部従業員の定年制の定めは将来において不利益に変更されることが予定されているとか、あるいは、期限ないし条件つきのものであるとかの内容は含まれていない。労働条件の異なる会社が合体するのであるから、いずれその労働条件を統一化すること、それまでは、それぞれの合体前の労働条件をそのままひきつぐという会社間の約束がなされているにすぎないのである。

2 債務者は、旧鉄道保険部従業員について、合体後に、労働慣行により六五歳定年制が成立したことを否認する。

しかし、右の事実は、申請書に記載したように、疎甲第三号証(組合員手帳)と疎甲第四号証(労使問題速報)で明らかである。とくに、疎甲第四号証は、債務者作成の文書であって、そのなかで、会社自身が、「現在六五歳停年適用者」という言葉を用いているのである。

債務者は、「(旧鉄道保険部従業員で)定年退職(六三歳定年で二年延長)をしていった者は、昭和五五年六月末に退職をした朝田蔀が初めてのことであったのであり、その後においても、定年退職(六三歳で二年延長)をしていった者は、昭和五六年六月末に退職をした丸谷巻枝、および同五七年六月末に退職をした水本毅の二名がいたにすぎない」というが、定年退職した者は、ほかに山川達夫(昭和四九年六月退職)がいる。

その四名は、いずれも満六五歳に達した翌年度の六月末日まで在職した。退職金も満六五歳の退職時に受領した。

四 定年制・退職金引下げによって債権者の被る不利益

1 従業員が定年制や退職金の定めによって享受する利益の程度は、従業員の年齢や勤続年数によって一様ではない。若い、入社後まもない従業員にとっては、定年退職ははるか遠い将来のことであり、その労働契約上の権利も、将来の抽象的な権利にすぎない。

しかし、債権者は、戦後の混乱期から働き続け、いよいよ定年を目前にしていた。債権者にとっては、定年制や退職金の定めは、「現実化」している利益である。しかも、それらは働き続けた生涯の労働の結晶として目前にあった。

2 ところで、債権者の労働契約上の定年制の権利は、賃金を減額されることなく満六五歳に達する翌年度の六月末まで働きつづけることができるというものである。

仮に今後はいっさい賃上げ、昇給がないものと仮定しても、昭和六一年九月から同七〇年六月(満六五歳に達した翌年度の六月)までの得べかりし賃金の額は、

455,000×8年10カ月=48,230,000円―――〈1〉

となる。

また、満六五歳でなく、「満六三歳に達した翌年度の六月末日」(旧労働協約第二三条本文、疎甲第三号証三〇一七頁)までを対象としても、その額は、

455,000×6年10カ月=37,310,000円―――〈2〉

となる。

3 昭和五八年五月九日の労使間合意によって退職金の支給額は、勤続年数三〇年以上の場合、支給係数は七一倍から五一倍に変更された。この労使間合意の効力が債権者にも及ぶものとすれば、債権者の退職金は、次の計算によって、実に、六七〇万三〇〇〇円減額されることになる。

(153,300+181,850)×71=23,795,650円―――〈A〉

(153,300+181,850)×51=17,092,650円―――〈B〉

〈A〉-〈B〉=6,703,000―――〈3〉

つまり、債権者が本件定年制・退職金の切下げ協定によって受ける不利益は、金銭に換算すると、いくら低目に見積もっても四四〇〇万円(前記〈2〉と〈3〉の合計)をくだらないのである。

労使間合意は、定年制・退職金切下げの「代償金」として全従業員に対し一人平均一二万円、旧鉄道保険部従業員には加算して五〇歳以上の者一律三〇万円、五〇歳未満の者一律一〇万円を支払うこととしている(疎甲第一〇号証)が、この「代償金」がまったく代償の名に値しない金額のものであることは、以上により明らかである。

五 「経営危機」の主張について

1 債務者は、定年制・退職金制度の改訂を提案したのは、「所謂『退職金倒産』を防止する目的があったからである」という(答弁書三一頁)。「退職金倒産」といえば、現行の定年制・退職金制度を続ける限り従業員に対し規定どおりの退職金を支払う余裕がないとか、逆に制度どおり支払えば企業は倒産しかねないという事態を意味する筈である。しかし、現実の事態は、そうではなかった。

債務者は、昭和五二年から同五三年にかけて、あたかも債務者会社が倒産に瀕しているかのような「経営危機」宣伝をおこなった。この経営危機主張については、申請書記載の配転命令無効確認請求事件(神戸地方裁判所昭和五八年(ワ)第六七一号)において、原告側が詳細な反論をおこなっているので、それを引用するが(疎甲第二五号証)、本件審理に必要な限りで簡単にその要点を述べると、次のとおりである。

(一) 債務者会社は、昭和五二年度決算において一七億七千万円の実質赤字を出したというが(答弁書二九頁)、その「赤字」は通常の会社の決算に用いられる用語例の赤字ではなく、損害保険会社の特殊性に由来する特殊な意味合いを持つものである。

この年度において、債務者会社は、約二七一億円の正味収入保険料をあげ、これからの正味保険金約一二四億円、正味事業費約一一七億円を控除した正味営業収支残(これが一般企業の粗利益に当たる)は約三〇億円となった。

一方、この年度において、債務者会社が保有する総資産を運用した結果の利益配当金収入は、約二一億円であり、ほかに積立保険料が約九億円(これは将来において契約者に返戻すべきもの)あったから、債務者会社は、この年度合計約六〇億円の収入をあげた。そして、この年度の決算の結果、社外に流出したのは諸税金約五億円だけであるから、その差額約五五億円が内部留保された。

損害保険の保険料を手形で支払うことは認められていないし、保険料即収の原則により保険料が入金しなければ契約は成立しない。つまり、損保会社の売上げ(収入保険料)は、まったく貸倒れ損失が起きる心配はないのであって、決算時においてほとんど一〇〇%現金で入金ずみである。

このような成績をあげた会社が、「倒産」の危機に瀕しているとは到底いえず、むしろ世間一般の会社がうらやむような経営基盤を有する会社といわなければならない。

(二) 債務者が「経営危機」を宣伝した昭和五二年、同五三年ころから現在までに八年を経過し、本件定年制・退職金の切下げに労使間で合意した昭和五八年当時をとっても、すでに五年以上を経過していた。

債務者会社は、昭和五五年度決算では早くも株主配当を復活し(八%)、その後は業界最高水準の株主配当を行っている。この間、会社の総資産は一貫して増加を続け、昭和六一年三月末では遂に一〇〇〇億円を超えるにいたった(疎甲第二〇号証、株主総会招集通知のなかの貸借対照表)。

この総資産の増加については、債務者会社自身が「会社案内」(疎甲第一号証、疎乙第一号証も同じもの)のなかで「この一〇年間で約三・六倍の伸びを示し、保険料収入を大きく上まわっている」と「万全の担保力」を誇っている。

そして、総資産は、年々、前記の内部留保(それは、損保の決算処理上「契約準備金」や「支払備金」などの諸準備金として会計処理される)が蓄積された結果である。だから、前記「会社案内」も、「確実さの証し、諸準備金」と誇っている。

要するに、債務者会社は昭和五二年以降も年々総資産を一貫してふやすことのできる利益をあげてきた。もし、本当に世間で言われる意味での「赤字」(欠損)を出してきたのであれば、このように債務者会社自身が対外的に宣伝できるような総資産の増加が起こる筈もないのである。

(三) 債務者の主張するところによれば、いうところの「退職金」倒産とは、現実に規定どおりの退職金を支払う支払能力がないという意味ではない。それは、決算に当たり「退職給与引当金」を計上するについて退職金規定を前提にして(通常、「退職給与引当金」は、決算期末に全従業員が退職すると仮定して要退職金支給額を算出し、その何割かを負債性引当金として計上する。それは一種の内部留保である)、しかも、大蔵省の行政指導が要求するとおり(統一経理基準)その全額を引当金として計上するには、毎年の前記営業収支残(粗利益)では少なすぎて、決算が窮屈であるという意味である。すなわち、大蔵省の指導するとおり「内部留保」を手厚くするためには、営業収支残がなお不足であるというにすぎない。かかる事態を、世間では決して「退職金倒産」とは言わないのである。

六 本件定年制・退職金改訂の不合理性

最後に、本件の争点とは、直接関係するところではないが、本件定年制・退職金の制度変更が合理的なものであったかどうかについて述べる。

最高裁は、いわゆるタケダシステム事件(昭和五八年一一月二五日第二小法廷判決)において、就業規則の変更と従業員の労働契約の関係について「本件就業規則の変更が被上告人らにとって不利益なものであるとしても、右変更が合理的なものであれば、被上告人らにおいて、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことは許されないというべきである。そして、右変更が合理的であるか否かを判断するに当たっては、変更の内容及び必要性の両面からの考察が必要とされ、右変更により従業員の蒙る不利益の程度、右変更との関連の下に行われた賃金の改善状況のほか、上告人主張のように、旧規定の下において有給生理休暇の取得の濫用があり、社内規律保持及び従業員の公平な処遇のため右変更が必要であったか否かを検討し、更には労働組合との交渉の経過、他の従業員の対応、関連会社の取扱い、我が国社会における生理休暇制度の一般的状況等の諸事情を総合勘案する必要がある」と判示をし、就業規則変更の合理性を判断する具体的基準を示した。

ここで、この最高裁の示した合理性判断の基準によってみても、本件定年制・退職金制度の変更には、なんらの合理性もない。

1 従業員の被る不利益の程度

債権者にとって、本件定年制・退職金の変更によって被る不利益の程度がきわめて重大なものであることは、上述したとおりである。

2 変更の必要性

「経営危機」主張に対する反論の項で述べたが、昭和五八年当時、債務者会社は、「経営危機」どころか、順調に業績を伸ばし、蓄積を増やしていたのである。定年制・退職金制度を変更しなければ企業の存立が危ぶまれるなどという状況は全く存在しなかった。

3 代償措置

(一) 「代償金」が代償の名に値しないことは、前述した。

(二) 仮に本件定年制の制度一般を変更する必要があったとして、その代償措置、経過措置はいくらでも合理的に考えることができる。

疎甲第一〇号証(協定書)によれば、債務者会社の協定当時の旧鉄道保険部従業員は七一名であって、そのうち満五〇歳以上の者は二二名である(協定書別紙3、債権者は協定当時五三歳)。すでに述べたように、定年制・退職金の変更によって被る不利益は、とくに勤続年数の長い旧鉄道保険部従業員にとって重大である。そうであれば、経過措置を設けることによって、不利益を被る度合の大きい一定年齢以上の従業員の既得権を保障することは簡単にできたのであって、その経過措置をとることによる経済的負担は、債務者会社にとって全く問題にならないものである。

現に、昭和四七年ころの定年制統一をめぐる労使間交渉の際には、債務者会社自身が「昭和四九年三月三一日現在、五〇才以上の者については既得権を認め」ることを提案している(疎甲第四号証)。

4 一般社会の定年制度との比較

債務者は、「五七才という定年は、わが国産業界及び損害保険業界の実情に照らしても低きに失するものとはいえない」(答弁書一〇頁)と言う。

しかし、変更後の五七才定年制が、わが国の会社に設けられている定年制の定めと比較して、労働者に有利なものであるかどうかを比較するのは、意味がない。本件は、従来定年制の定めがなかったところに、新しく定年制の定めを設けようとしたのではない。

社会一般との比較をいうのであれば、本件定年制の変更は、切下げであって、つまり労働者の既得の労働条件のひき下げであって、現在の社会の定年延長の一般的流れ(それは、もはや公知の事実である)に逆行するものとしかいえない。

損害保険業界においては、債務者会社を除き、従業員の定年は五五才が一般であったことは事実であるが、労働組合の要求により、最近相次いで定年がひきあげられた。そこでは、新しい定年制は、労働者にとって有利に変更されたのであって、不利益になったのではない。

5 労働組合との交渉の経過

債務者は、本件定年制・退職金の制度改訂が労働組合との合意によって協定されたことをもって、その合理性を裏付けようとしている。

しかし、申請書に記載したように、協定の相手方当事者たる労働組合は、すでに債務者の支配介入によって変質し、「労働組合」の実体を失い、会社の合理化に協力する機関となっていた。かかる労働組合と協定したことをもって、本件定年制・退職金の変更がやむえないものであったとか、合理的なものであったということの証左とすることはできない。

6 他の従業員の対応

本件定年制・退職金の変更が従業員に与える不利益の度合は、とくに勤続年数によって大きく異なるものである以上、一般的に従業員の対応がどうであったかを問題にするのは、意味がない。

とくに、不利益を被る度合の多い旧鉄道保険部従業員のなかで、本件定年制・退職金の変更に不同意を表明したのは、申請書記載のとおり、債権者のほかに、高田二郎(訴訟を提起)、倉田優、八木隆がいる。

債務者は、おそらく、他の従業員の多数が結果的に本件定年制・退職金の変更に同意したことをもって、債権者らの主張は「権利の濫用」にあたるというのであろうが(前記高田二郎の事件では、そのように主張した)、他の従業員は、労働組合さえも変質する強力な支配介入のなかで、勇気をもって不同意を表明することができなかったのである。また、戦後から長年にわたって債務者会社で誠実に働き続け、定年を目の前にしてこの労働の結晶である(退職金は賃金の後払いの性格を持つ)既得の権利を放棄するかどうかは、まさに従業員個人個人の意思にゆだねられているのであって、他の同僚が同意したからといって、債権者の不同意が権利の濫用になるわけではない。同輩の多数が同意した場合には、他の者の不同意が権利濫用になるというのでは、個人個人の同意を問題にする余地はなくなるのである。

七 債権者が解雇された経過について

債務者は、答弁書において、しきりに「債権者は右再雇用の手続きを一切取ろうとさえしなかった」と非難している。

債権者は、本件定年制・退職金の制度変更、それによる労働契約の変更に不同意を表明し、債務者会社自身もそれを十分に承知していたのであるから、債権者が満五七歳の誕生日を前にして、自ら定年制の変更後に債務者会社が定めた「特別社員規定」による手続きをとろうとしなかったのは当然である。しかし、債権者は、紛争となることを避けるため、すでに六月二五日、神戸支店長に対し「会社はどのように考えているのか、本店と相談して知らせてほしい」と申し入れている(疎甲第二一号証)。ところが、債務者会社は右の申し入れになんの回答もせず、債権者に対し七月二八日、いきなり定年退職による解雇を通告した。

債務者会社は、始めから、債権者に対し定年退職を理由とする解雇を強行することを決定していたのである。

債権者準備書面(二)(昭61・9・26)

一 労働組合が定年制・退職金の切下げに同意するにいたった経過

1 債務者会社は、「昭和五五年ころから、朝日支部を合理化に協力する機関に変質させるため、組合運営に対し、大規模な支配介入を開始した」(申請書、なお申請書には『昭和五六年ころから』と記載したが、これは『昭和五五年ころから』が正しいので訂正する)。

本件申請の後である九月一二日、原告樋口勇の配転命令無効確認等請求事件につき判決が言い渡されたが、同判決は、昭和五五年以降の債務者会社の支配介入の事実を具体的に認定したうえで、次のように判示した。

「被告会社は、田中社長以下の新経営陣となって以来、徹底した合理化計画を敢行するため、これに強く反対していたA派組合員が、朝日支部執行委員及び分会役員の地位にあることが邪魔になり、A派を中傷するとともに、右合理化計画に協調的なB派組合員を支援する一方、同支部執行部役員を退任した者その他のA派組合員を地方の出先の営業所等へ配転する等の措置を採ったため、その組合活動にも著しい影響を及ぼし、昭和五八年四月頃には、朝日支部の執行部役員全員がB派組合員で占められたのみならず、分会役員もB派組合員で多数を占めるに至ったことが認められる」

ここにいうA派・B派とは、右訴訟の中で、原告が「当時の(昭和五四、五五年ころ)朝日支部執行委員長であった大田決ら、組合員の利益を断固守ろうとする者」=A派、「会社に支持された者」=B派と区分したことに基づいている。判決は、「被告会社の合理化施策に反対する組合員」と「右合理化に賛成し被告会社に協調的な組合員」とに区分けを行い、その区分は原告のいうA派・B派の区分と「概ね一致する」と認めて前記の判示をしたのである。

2 昭和五八年五月九日、本件定年制・退職金の切下げに同意した際の朝日支部執行委員一五名のメンバーは、疎甲第一二号証(労使問題速報組合側出席者)に示されている。このうち、A派組合員は、大田、松下、野村、丹野、大倉の五名、その他は執行委員長の大田忠志を含めすべてB派組合員である(疎甲第二六号証・大田決第一回証人調書八〇項以下)。

なお、前掲判決書引用のうち、傍点部分の昭和五八年四月ころは、昭和五八年九月ころが正しい。昭和五八年四月ころは、朝日支部の執行部役員の構成は以上のとおりA派五人・B派一〇人であったのであり、その後、昭和五八年九月の支部大会でB派がその全員を占めることとなった(疎甲第九号証)。

3 債務者会社は、定年制・退職金の切下げを「昭和五四年七月、債務者会社の会社再建策の重要な柱の一つとして、朝日支部に対し提案した」(答弁書八頁)が、その後、この問題に関する実質的な労使間交渉が開始されたのは、約三年後の昭和五七年三月からである(疎甲第一五号証・村上弘第二回証人調書一四二頁以下)。そして、会社は、漸く昭和五八年二月二四日にいたって具体的な提案をおこなった。

当時、朝日支部執行部の少数派であった大田決らA派組合員は、この提案に対し組合員の労働条件とくに旧鉄道保険部従業員の既得の権利を切下げるものとして強く反対したが、B派組合員は、会社提案を「丸呑みしようと……口々に言い出した」有様であった(疎甲第二六号証・大田第一回証人調書二一八項以下)。

4 債務者会社が具体提案をおこなった昭和五八年二月二四日から、協定成立の同年五月九日にいたる間の、組合内の討議の状況は、疎甲第一一号証・支部大会議案(疎乙第三六号証も同じものである)一九頁以下に示されている。これを、要約すると、

(一) 組合は、大田らの意見をとり入れ、三月二二日の支部大会で、旧鉄道保険部従業員に対する一定の既得権の保障、代償措置をとり入れることを内容とした会社に対する対置要求を決定した(二二頁)。

(二) しかし、会社は、基本的に態度を変えず、組合は、四月一二日、一三日、支部闘争委員会(全国)で「各分会闘争委員会の意見、並びに旧鉄保労働協約適用者の意見集約をふまえ長時間討論を行った結果、多数意見(現在の回答で不満であるが収拾する)と少数意見(現在の回答は不充分であり、更に粘り強く交渉する)に分かれた」(二七頁)。組合は、この多数意見・少数意見について組合員の全員投票をおこなった結果、

A案(収拾する) 四一七票(六五・四%)

B案(継続交渉) 二一三票(三三・四%)

白票 八票(一・二%)

となった(二八頁)。ここにいうB案が、大田らA派組合員の主張であったことはいうまでもない。

(三) 朝日支部が、会社と労働協約を締結するについては、全損保(全日本損害保険労働組合)の承認を必要とする(疎甲第二九号証・大田第二回証人調書三六項以下)。全損保は、この段階で、朝日支部に対し次のように指導した。

〈1〉 全員投票の結果、1/3の組合員が反対しているなかで、多数決で労働条件の切り下げに応ずるべきではない。

〈2〉 従って、圧倒的多数の合意・既得権者の納得をもとめるため、要求実現をめざし、経営者と粘り強く交渉する(二八頁)。

(四) しかし、朝日支部の多数派(B派)はこれに納得せず、あくまで妥結することを求めたため、全損保は、「ひとりひとりの権利を留保する」ことを条件として、妥結につき条件付承認をした(二九頁、六七頁)。この間、朝日支部多数派は、妥結が承認されなければ全損保を脱退する脅かしまで行ったのである(疎甲第二六号証・大田第一回証人調書二三三項以下)。

5 以上の経過をたどって、朝日支部は、会社と定年制・退職金の切下げ協定に同意するのであるが、四月三〇日付で組合員に「定年退職金(含む三臨)闘争の収拾について」という書信を送った(疎甲第一一号証五二頁以下)。その書信には、大田らの少数意見も付されているが、「1/3の重みについて」

「支部は、………多数決での割り切りとならざるをえないという見解であり、本部側(全損保)は労働条件の切り下げであり、1/3の反対を多数決で押し切るべきでないとの違いは埋まりませんでした。しかし話合いの中で、収拾するにしても『一人一人の権利は守るか』との指摘もあり、支部として『一人ひとりの権利は留保する』立場をはっきりし、経営者との交渉でも明確に主張することにしたものです」

と書かれている(六六頁)。

同時に、朝日支部は、非組合員に対しても五月二日付の書面をもって同様の趣旨のことを連絡した(疎甲第一三号証)。

大田決証言によれば、「ひとりひとりの権利を留保する」という意味は、「労働組合が協定しても定年制の切下げについて個人が同意しなければ、その個人については、従来通りの権利が残る」「嫌がる人間の権利まで労働組合は奪うことは出来ない」という意味であり、それは「留保」ではなく、「条件」であった(疎甲第二九号証・大田第二回証人調書三九項以下)。

二 債権者は、組合に自らの定年制を切下げる授権をしていない。

債権者は、以上の経過のなかで、「合意が成立する前の、四月一八日付で、朝日支部執行委員長に対し、文書で私の労働条件を不利益に変更する権限を委任しない旨を通知し」た(疎甲第二一号証・陳述書)。さらに、債権者は、執行部に対し、組合が組合員の個人の既得の権利を侵害するような協定を結ぶのであれば、組合を脱退する旨を表明していた。

この間の経緯は、疎甲第一一号証・支部大会議案書そのものに、「一組合員から脱退の意志表明と意見書が提出された件について」として次のように記載されている(二九頁)。

「三月一八日の旧鉄保労働協約適用組合員の代表者会議の席上、一組合員(債権者のこと――引用者)より会社と調印する前に連絡してほしいと申し出があり、その後調印前に支部を脱退したいと連絡してきました。

本人の主旨は個有の労働契約があり、それを変更するのであれば会社は該当者に充分納得できる説明をすべきなのにそれをしていない。対置要求がとれればいいが、できないことをしないでもよい。できないで個有の権利を組合が勝手に切り下げるのは認められないし、自分は拘束されたくないというものでした。

支部としては脱退しないよう説得するため、四月六日執行部より二名を派遣し、現組織の中で脱退するのではなく一緒にやって欲しいと理解を求めましたが、調印しないでほしい、既得権を守ってほしいとの要望が出され、脱退を思いとどまってもらうまでには至りませんでした。さらに委員長宛に、組合が会社と調印してもそれに拘束されたくないとの意見書(四月一八日付)が出されました。その後、執行部が合意前に個人の権利は留保されることになり、拘束されないので脱退の必要はなくなったと説明し、本人も了解しました」

すなわち、会社と協定した当の執行部(多数派)自身が、債権者に対し、「ひとりひとりの権利は留保される」のだから、これに同意しない個人の権利は変更されることがないし、協定に拘束されるものではないことを明言していたことが明らかである。

三 本件労使間合意によって、債権者の労働契約が変更されることはない。

朝日支部は、昭和五八年五月九日、会社と合意するに当たり、明確に「ひとりひとりの権利を留保する」旨を表明し、組合内部の討議経過を十分に承知していた会社も、これに異議を述べることなく同意した。その事実は、準備書面(一)において述べた如く、疎甲第一二号証が明らかにしているし、疎甲第一一号証(大会議案書)も会社がこの留保条件に同意したことを当然のこととして経過を総括している。

合意の団体交渉に出席した大田決も、組合が「妥結の条件として」「ひとりひとりの権利を留保する」ことをはっきり通知し、会社は「特段の異議を唱えませんでしたから認めたことになります」と証言している(疎甲第二九号証、大田第二回証人調書五〇項以下)。

繰り返して主張してきたとおり、本件協定は、制度としての定年制・退職金を変更したにとどまり、協定当時債務者会社に在籍していた個々の従業員に対しては、労働契約の改訂申し入れにすぎない。債権者が、「昭和五八年五月一〇日以降、債務者の再三にわたる説得にもかかわらず、定年制・退職金のひき下げの労使間合意に同意できない旨を通知し」(申請書)たことは、債務者がこれを認めている(答弁書)。従って、債権者の債務者会社との間の労働契約に含まれる定年制の定めはなんら変更されていない。

四 労働協約と労働契約の関係について

本件は、以上のように、労働協約一般(なんらの留保条件を伴わない労使間合意)と労働契約との間の効力関係の解釈によって決せられる事案ではない。

しかし、念のため、既存の労働条件を切下げる労働協約が締結された場合、組合員個人の労働条件はいかなる影響を受けるかについて判断したいくつかの裁判例を検討する。

1 大阪白急タクシー事件(大阪地裁昭五三・三・一仮処分決定、労働判例二九八号)は、次のように判示している。

「労働組合は本来組合員の賃金その他の労働条件等を維持改善することを目的………とするものであるから、労働組合が賃金その他の労働条件について使用者と協定する場合にも原則としてその維持改善を目的とするものでなければならず、労働組合が組合員にとって労働契約の内容となっている現行の賃金その他の労働条件より不利なものについて使用者と協定する場合には個々の組合員の授権を要するものと解する」とし、本件においては右授権がなかったものとし、新労働契約(賃金協定)の効力を否定し旧賃金体系による賃金の支払いを命じた。

ここに述べられた判旨は、労働組合の実質、その本来的機能に立脚した妥当な立論であって、本件朝日支部のように、まさに会社の合理化に協力する機関に変質してしまった組合が会社のいいなりに不利な労働協約を締結した場合には、いっそうこの視点が貫かれなければならないのである。

2 北港タクシー事件(大阪地裁昭五五・一二・一九判決、労働判例三五六号)はまさに定年制の事案について判断している。事案は、就業規則に定める定年を超えて雇用された従業員(期限の定めなく継続して雇用されている従業員)につき、組合が労働協約を改訂し右の従業員につき事実上の定年退職制を設けたものであるが、次のように判示している。

すなわち、労働組合は労組法二条に定められた目的をもって組織された団体であるから「労働組合が使用者との間において労働協約を締結する権限にも自ずとその限界が存し、右のような目的の範囲内に限られるべきである」とし、

「従業員が使用者との雇用契約を終了させるかどうかは、当該従業員にとってその地位を根底から覆し、最終的には生存にかかわるやもしれぬ極めて重要な事柄ということができ、それ故、右従業員の任意な意思によって決定すべきことであるから、たとえ労働組合といえども、これに干渉し、右従業員(組合員)を拘束するようなことはできないものといわなければならない。しかして、たとえ労働組合が内部的に多数決によって、当該組合員にかかる雇用契約を終了させ、又はそのような結果を生ぜしめる労働協約を締結することを決定し、使用者との間でその旨の労働協約を締結したとしても、右組合員が右協約を締結することに同意し、又は労働組合に対し特別の授権を与えることがない限り、右協約の効力は、右組合員には及ばないものというべきである」と云う。

ここで、「その地位を根底から覆し、最終的には生存にかかわるやもしれぬ極めて重要な事柄」とされた従業員は、就業規則に定める定年を超えて入社した従業員であったのに対し、本件債権者は、戦後まもなくの頃から債務者会社に三〇年以上(協定当時で)も勤続していた。その労働契約の定年制・退職金の定めに含まれる利益は、準備書面(一)で詳述したとおりであって、この裁判例の事案とは比較にならぬほど重みを持つものであった。

この判決の判示した言葉を用いていうならば、全損保は、朝日支部が会社と協定するに当たり、「多数決によって、当該組合員にかかる雇用契約を終らさせ、又はそのような結果を生ぜしめる」ことになってはならないという立場から「ひとりひとりの権利を留保する」条件を付したものであり、仮にそのような留保条件を付さずに「使用者との間でその旨の労働協約を締結したとしても、右組合員が右協約を締結することに同意し、又は労働組合に対し特別の授権を与えることがない限り、右協約の効力は、右組合員に及ばないものというべきである」。

3 労働協約の規範的効力(労組法一六条)とは、「当該労働協約に定める労働条件よりも労働契約の方が労働者にとって不利益な場合にのみ、その不利益な部分を無効とし、その場合には、当該労働協約に定める労働条件が労働契約の内容になるという片面的な効力をいう」とする判例については準備書面(一)で引用したとおりである。

4 債務者は、日本トラック事件(名古屋高裁、昭六〇・一一・二七判決、疎乙第五一号証)を援用して、本件についても労使間協定は債権者にも適用されると主張する。

たしかに、右判決(同判決の引用する原審判決)には「労働協約のいわゆる規範的効力(労組法一六条)が右のような労働条件を切り下げる改訂労働協約についても生ずるかについては、そのような労働協約を無効とする規定が存しないこと、労組法一六条の趣旨は、労働組合の団結と統制力、集団的規制力を尊重することにより労働者の労働条件の統一的引き上げを図ったものと解されることに照らし、改訂労働協約が極めて不合理であるとか、特定の労働者を不利益に取り扱うことを意図して締結されたなど、明らかに労組法、労基法の精神に反する特段の事情がないかぎり、これを積極的に解するほかはない」という一般的説示がある(ただ、なぜ労働者の労働条件の統一的引き上げを図る労組法一六条の趣旨から判旨のような結論を導き出せるのか明らかでない)。この点では、前述の一連の判決とは立場を異にしているが、この判決も無条件に労働条件を切下げる労働協約に規範的効力を認めているのではなく、「改訂労働協約が極めて不合理であるとか、特定の労働者を不利益に取り扱うことを意図して締結された」ことがない限りという留保を付している。

この判決が「不合理である」かどうかを検討した事実を見ると、

〈1〉 会社は資本金四億円余、従業員一二〇〇余名であるが、当時九億円近い累積赤字を抱え、更に五億円近い赤字増が見込まれる「危機的な事態」にあった。

〈2〉 改訂労働協約の内容は、労災補償給付の法定外の上積み分の減額で、経営危機解消までの暫定措置であるにすぎなかった。

〈3〉 組合も、交渉の経過を組合員に周知徹底したが、「組合員から格別の反対意見もなかった」。

〈4〉 原告は、労働協約改訂当時は事故に遇っていなかったので、この改訂が原告に直接不利益を及ぼすおそれはなかった。

などである。

以上を見ると、明らかに、右事案は、本件とはまったく事態の深刻さを異にしていることが明らかである。債務者会社は、一貫して蓄積を続け、その経営はむしろ世間の通常の会社から見ればうらやましいほどの収益をあげていた。組合員、従業員が頑強に債務者会社の労働条件切下げの提案に反対したことは上述のとおりである。本件改訂によって、債権者が直接にうける不利益はきわめて重大であった。

右の判決の立場をもってしても、本件につき、労使間合意(労働協約)の効力は債権者にも及ぶとすることはできない。

五 その他の債務者の主張について

1 債務者は、旧鉄道保険部従業員で現在までに定年退職した者は、朝田蔀、丸谷巻枝、水本毅の三名であるというが、債権者準備書面(一)で述べたように、定年退職者は、この三名の他、山川達夫(昭和四九年六月退職)がいる。この四名の定年退職者のあったこと、この四名がいずれも満六五歳に達した翌年度の六月末まで在職し、退職金も満六五歳の退職時に受領した事実は、債務者会社人事部長村上弘がこれを認めている(疎甲第一五号証・村上第二回証人調書一一〇項以下)。

2 債務者は、「定年統一および退職金制度の改定については、……東京都地方労働委員会の熱心な指導をも受けつつ、右提案以来、ほぼ四年を経過した昭和五八年五月九日に協定が成立した」(答弁書八頁)と述べ、東京都地方労働委員会の〝権威〟をもって本件定年制切下げの「手続的」「内容的」な合理性を裏付けんとするかの如くである(債務者は、この東京都労委の関与を示す書証として疎甲第三〇、三二、三三号証を提出し、「定年統一・退職金制度改定等の問題につき、東京都地方労働委員会が、会社・組合双方に対し、その妥結に向けて熱心な指導を行っていたことを示す」ものという)。

しかし、この主張は、事実に反している。

債務者は、昭和五四年七月、昭和五四年度賃上げ回答と「新人事諸制度」「新退職金制度」「定年制の統一」を「セット提案」した(答弁書三一頁)。「セット提案」とは、組合が賃上げしてほしければ、他の三つの不利益提案を同時に受諾せよというものであって、それ自体が不当労働行為性を帯びたものである。

当時、前記大田決を執行委員長とする朝日支部は、賃上げと他の提案との交渉切り離しを求めて東京都地方労働委員会に「実効確保の措置申立」を行った。この事件の審理の中で、同委員会が、この交渉の切り離しをするかどうかの手続きについて、答弁書三三頁記載の見解を示したのは事実である。

しかし、この切り離しがされた後、定年制・退職金をめぐる労使間交渉が始まったのは、一の3で述べたとおり漸く昭和五七年三月からであって、この定年制・退職金そのものをめぐる労使間交渉に、東京都地方労働委員会がいかなる意味でも関与したことはない。そのことは、会社人事部長村上弘が認めている(疎甲第一五号証・村上第二回証人調書八四項以下)。

本件の争点とはかかわりはないが、事実経過を脚色してまで、「労働委員会の関与」を持ち出さざるをえないのは、債務者主張のよって立つ基盤の弱さを示すものでしかない。

債権者準備書面(三)(昭61・9・30)

一 債権者と債務者の間の労働契約について

1 債務者は、準備書面(一)(昭和六一年九月二六日付)において、労組法一六条の「直律的効力」に関する「外部規律説」を援用しながら、「六三才定年制」は労働契約の内容をなしていないという。

しかし、学説レベルでの議論であれば、「化体説」がなお有力・多数説であって、「わが企業別協約の労働条項は、通常、労働条件基準を定めるものではなく、そのまま労働契約の中味を規律し構成していく労働条件を定めたものであり、……内容説という理論構成をとらなければならない」(久保敬治、四版労働法一九二頁)というのは、わが国の労働協約の実態に即した正当な議論であるといわなければならない。

2 しかし、本件債権者の労働契約に、少なくとも「六三才定年制」が含まれていたことは、「化体説」によらないでも十分説明することができる。

すなわち、昭和四〇年二月の合体により、債権者を含む旧鉄道保険部従業員は、債務者会社に雇用されたのであって、その際締結された労働契約には「六三才定年制」がその内容として含まれていた。その詳細は、次のとおりである。

合体に際し、一方の朝日火災は株式会社であったが、他方の鉄道保険部は法人格を有しなかった(疎乙第五五号証は「鉄道保険部は損保一九社の共同保険処理機構で単なる国鉄退職者を中心とした集団に過ぎず、法人格をもっていなかった」と記載している)。そこで、合体という言葉が使われることになったのであるが、この際、旧鉄道保険部従業員は、いったん鉄道保険部を退職し、その全員が朝日火災に雇用される形をとった。そのことは、「合体の際、一九社より支給を受ける退職金は合体後従業員が退職する際に、鉄道保険部と朝日火災の勤続年数を通算して退職金を支給することを条件として、全員これをそのまま朝日火災に預託する」(疎甲第三号証三〇〇四頁、合体に関する協定書付属覚書、疎乙第一〇号証も同じものである)こととしていることから明らかである。疎乙第三号証(債権者に対する退職金通知書)にも、この預託金四一万一五〇円が含まれている。

ところで、この合体前に、合体後の労働条件がどうなるか不安を感じた全損保鉄道保険部支部組合員は、組合を通じて鉄道保険部と交渉し、「合体に関する協定」(疎甲第三号証三〇〇三頁)を締結した。その中には「停年制は現行どおりとする」という条項が含まれている。

一方、朝日火災は、当時の全損保朝日火災支部との交渉の中で、〈1〉合体に際し鉄道保険部全員を受けいれる 〈2〉鉄道保険部が鉄道保険部支部と約束したことは尊重すると約束していた(疎乙第一一号証、合体支部大会議案書B―10頁)。

以上の経過からすれば、債権者は、昭和四〇年二月、債務者会社に雇用され、その労働契約は、従来鉄道保険部時代に労働協約・就業規則により債権者に適用されていた「六三才定年制」をとりこんで締結された。合体により鉄道保険部が消滅したことを見れば、債務者会社による労働契約の承継と構成するよりは、このように、昭和四〇年二月、債権者の債務者会社への入社により、前記内容の労働契約が締結されたと見る方が素直であるということができる。

二 「ひとりひとりの権利の留保」について

1 債務者は、漸く準備書面(一)において、本件の争点である「ひとりひとりの権利を留保」の問題にふれ、「『ひとりひとりの権利を留保する』というのは、妥結に当って組合内部で付けられた条件、つまり『分派行動をとらない限り統制処分をとらない』(乙第三六号証の二九頁上段カッコ内)という意義を持つものにすぎず、従って、これが会社を拘束する理由は全くないのである。すなわち、かかる条件を付けた上で、会社が合意することなど全くあり得ないことであり、かかる条件をつけることは、定年統一の意義、すなわち会社がめざした『均等待遇の原則』を自ら放棄したことになってしまう」という。

しかし、ここで債務者の引用した「分派行動をとらない限り、統制処分はとらない」という文章の前段には「当然のことながら、不満を示す方が会社との関係で個人として異議を示すことができ」とあって、そういう個人が出てきても、その個人が組合内の分派行動をとらない限り、組合決定違反として統制処分に付することはしないと説明したにすぎない。

組合は、非組合員に対しても、協定成立に先立つ五月二日付の手紙で、まったく同趣旨のことを連絡した(疎甲第一三号証)。非組合員について、統制処分が問題にならないことはいうまでもない。「ひとりひとりの権利を留保する」という条件は、「妥結に当たって組合内部で付けられた条件」でないことは明白である。

協定成立に先立ち非組合員にもこのような手紙が送られたのであるから、会社は、組合の留保条件の意味するところを十分に知っていた。そのうえで、五月九日の妥結の団体交渉では「できるだけそういうことがない様に望みたい」(疎甲第一二号証)と発言したのみであって、組合の留保条件に異議を唱えていない。

協定成立後、会社は、直ちに次の措置をとった。

〈1〉 代償金一律平均一二万円については、振込みの方法により全従業員に支払ったが、旧鉄道保険部従業員のみを対象とする加算代償金は、現金で支払うよう指示した。

〈2〉 そして、旧鉄道保険部従業員にはひとりひとり面接して、その同意をとりつけるべく説得をおこなった(以上の事実は、疎乙第五〇号証、村上弘第二回証人調書一七〇項以下で明らかである)。

以上の経過は、当時、会社が、「ひとりひとりの権利を留保する」条件で労使間合意が成立した以上、旧鉄道保険部従業員の定年制を変更するには、その個人の労働契約を変更する必要があると考えていたことを示すものに他ならない。

債権者を含む合計四名の従業員は、会社の再三の説得にかかわらず、あくまで、労働契約改訂について不同意を表明した。その説得の過程で、多くの従業員が同意せざるをえなかったのは、「一人一人で今度は会社に逆らうわけですから、会社からの差別・迫害が大変なものになるだろうということでこわくていやいや従ったというのが実情だ」ったのである(疎甲第二九号証、大田第二回証人調書六五項以下)。

債務者は、会社のめざした「定年統一の意義」を放棄することになるから、組合の留保条件に同意したことはないというのであるが、それは、結果として、会社の予想に反して、債権者らが最後まで不同意を表明したためにすべての従業員に定年制・退職金の切下げを押しつけることができなかったということにすぎない。

三 労働協約と労働契約の関係

1 債務者は、「協約上の労働条件は、あくまで協約によって獲得されたもので協約により変更されても仕方がない」(石川吉右衛門)という説をひきながら、被保全権利そのものが存在しないという。この説は、論理としても、「やや解明不足の感を免れない」(日本労働法学会編、現代労働法講座第六巻、中嶋士元也「規範的効力」一五二頁)。

しかも、債務者の引用部分は、正確には「協約締結前に個人が取得していた労働条件は個人の既得権として保護されるべきであるが、協約上の労働条件はあくまで協約によって獲得されたもので協約により変更されても仕方がないと考える」というのである。

本件についていえば、前述のように、昭和四〇年二月、債権者の労働契約は、「六三才定年制」を内容として締結され、同時に、会社は朝日支部に対し、旧鉄道保険部の労働協約を継承することを約した。これも、新しい労働協約の締結であって、石川説によっても、「六三才定年制」は「協約締結前に個人が取得していた労働条件」であるといえないこともない。

さらに、この労組法一六条の直律的効果についての学説は、労働協約が終了した場合、その規範的部分が「余後効」としてそのまま効力を維持するかどうかをめぐって展開されたものであって、判例上も、労働協約は外部的に労働契約を規律するものであるから、労働協約が改定されれば、当然にその改定協約が労働契約を規律することとなるとしたものは、存在しない。

2 判例は、抽象的に、このような「外部規律説」が正しいか、「化体説」が正しいかを判断して事案を決しているわけではない。

準備書面(二)に述べたように、一方において、労組法一六条の趣旨から見て、労働組合が労働協約を締結する権限にも自ら限界のあること、他方において、その労働協約締結によって被る個々の労働者の不利益、その程度を考えて判断をくだしている。

その意味でいうならば、債務者の引用する菅野説(債務者準備書面(一)六、七頁)の「労働組合の有する団体交渉の決定権限も無制限であるはずはなく」という議論と共通点がある。そこにいう「個別的授権事項」にあたるものとして「特定の組合員の雇用の終了」が含まれている。債務者は、この「特定の組合員の雇用の終了」を都合のよいように解釈しているが、本件は、まさに「特定の組合員の雇用の終了」に関する問題である。

なぜなら、債務者は、旧鉄道保険部従業員以外の者の従来の定年制は、五五才であると主張し、従って、本件定年制の改定は、それら従業員にとっては引上げということになるのであろう。しかし、旧鉄道保険部従業員の従来の定年制は六三才か六五才は別にして、本件改定は明らかに引下げであり、「特定の組合員の雇用の終了」を早めることであった。しかも、旧鉄道保険部従業員七一名のなかには、協定当時、五七才に達していたものが六名いた(疎甲第一〇号証協定書別表1、裁判を提起した高田二郎もその一人である)。彼等にとっては、ただちに雇用を終了させられる問題であった。

全損保が、朝日支部に対し妥結承認を与えるに際して「ひとりひとりの権利」を留保することを指導したのは、「労働組合が内部的に多数決によって、当該組合員にかかる雇用契約を終了させる」(北港タクシー事件判決)ことがあってはならないと考えたからである。

四 債務者主張に対する反論

1 債務者は、昭和四九年六月退職の山川達夫は、「国鉄永退社員」であり、旧鉄道保険部従業員ではないという(準備書面(一)一八頁)。債務者の定義によれば、「国鉄永退社員」とは、「五五才で国鉄を定年になられた方を朝日火災にお迎えして、そして六三才の定年まで勤続していただく」人をいう(疎乙第四九号証、村上弘第一回証人調書一三項)。本件答弁書によれば、どういうわけか、この定義は「日本国有鉄道を五〇才を超えて退職し、合体前の鉄道保険部および合体後の債務者会社において採用した従業員」となっている(五項)。

しかし、山川は、債務者が認めるように四八才で退職して入社したのであって、そのいずれの定義からしても「国鉄永退社員」ではない。村上人事都長も、山川が旧鉄道保険部従業員であることを認めている(債権者準備書面(三)記載のとおり)。

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